いい日泡だち

思い出の書き換えです

モハメド・アブダビ・アブダラさん(仮名)のこと

 モハメドアブダビ・アブダラさん(仮名。以下、モハメドさんとする)は、わたしが話したことのある唯一のスーダン人である。
 
 小学生だった頃、わたしは北国のさびれた港町に住んでいた。あきそうもないシャッターが並ぶ商店街には、大抵いつもしょっぱい匂いのする海風が吹いていた。冷たい風が降った雪もすぐに吹き飛ばしてしまうような、そんなさびれた町だった。自分はその町で、そこそこ退屈でそこそこ楽しい小学校生活を送っていた。
 
 春も終わり六年生だということにも慣れてきたある日、担任の先生が
 
「今度の総合の授業にはゲストを呼びます」
 
と言った。なんでもゲストは近くの工業大学に通う留学生だという。
 
「何人ですか?」
 
質問が出た。先生は答えた。
 
スーダン人です」
 
教室がざわついた。スーダンってどこ?そもそも外国だって、アメリカとかフランスくらいしかわからない。去年のワールドカップは韓国と一緒にやったみたいだけど、韓国人と中国人の見分けもつかない。
先生は、スーダンはアフリカなので、今度来るのは肌の黒い、いわゆる「黒人」なのだというようなことを言った。スーダンはあまり豊かな国ではないということも言った。自分は、アフリカの黒人とアメリカの黒人にどこか違いはあるのだろうかと思った。
 
 意外と早く当日は来た。身の丈190センチはあろうかという痩せた黒人が、ドアの上の枠にぶつからないよう、遠慮がちに身をかがめながら教室にはいってきた。彼は白い薄手のネグリジェのような服を着て、頭にターバンを巻いていた。
 
「はじめまして。モハメドアブダビ・アブダラ(仮名)です」
 
 モハメドさんは流暢に挨拶した。黒人だと聞いていたので、当時流行っていたエディ・マーフィーのような人が、マサイ族みたいな格好をして出てくると思っていた。しかしモハメドさんはエディ・マーフィーには全く似ていなかった。鼻がとても高かったからだ。肌こそ真っ黒でターバンからはみ出た髪の毛も細かく縮れていたが、わたしが思い描いていた顔とは違っていた。モハメドさんは小顔で、鼻がスッととがっていて優しげな顔立ちをしていた。全身に筋肉も脂肪も最低限しかついていなくて、脚が信じられないほど長かった。モデル体型だった。極東の北国の港町には、絶対にいない体型だ。
 
 先生がモハメドさんについてと授業の段取りについて説明していたが、全く耳に入ってこなかった。わたしはモハメドさんをじろじろ見てしまっていた。アラビアンナイトの世界から抜け出したみたいな民族衣装。思えば顔立ちだけ少しアラブっぽい。肌の色や体型はアフリカなのに顔だけアラブ。わたしは、黒人全員がエディ・マーフィーみたいな顔じゃないんだなという気づきを得た。
 
 モハメドさんは民族衣装のまま、持参してきたパソコンを開いた。ミスマッチだなと思った。パワーポイントのスライドはテンプレートを使っておらず、フォントはゴシック体だった。子ども心にもなんだかしょぼいなと思った。そのやけに画面に空白の多いしょぼいスライドで、モハメドさんによるスーダンの紹介が始まった。場所はエジプトの下。人口は日本の1/4くらい。国民にはイスラム教徒が多い。モハメドさんもまたそうで、日に四回のお祈りは欠かさない。
 
スーダンの名産はなんだと思いますか?」
 
開始早々にクイズが始まる。次々に手が挙がり、牛とかライオンとかバナナとか言っていた。しかし正解は出ない。
 
「正解は、『アラビアガム』です」
 
なんだそれ、絶対に当たるわけないじゃん。難問すぎる。アラビアガム食品添加物としてお菓子に使われたり、薬のコーディングに使われたりするらしい。カラフルなガムと薬のカプセルの画像がそっけなく挿入されたスライド。それが入れ替わると、広大な砂漠にポツンと立っている小さな干からびた木の画像になった。
 
「これがアラビアガムの元になる木です」
 
ハメドさんが言うには、アラビアガムは木の樹液が原料だ。砂漠にわざわざ出かけて、手作業でとっている。一つの木からそれほどとれなくて、とりすぎると枯れてしまうらしい。なんだその名産、と思った。そのまま食べても腹の足しに全くならなさそうな樹液が名産の国。子ども心に、とんでもなく貧しいような、大変な国なような気がした。そんな国から来たモハメドさんは、想像もつかないような苦労を今までしてきたんだろう。すごく痩せているけど、ちゃんと食べているのか。
 
 入れ替わった新しいスライドには、モハメドさんの家と家族が写っていた。大きな部屋に敷かれた絨毯に座り込む人たちは、すでに十人以上いた。
 
「男と女で別れて暮らしています」
 
お父さんには奥さんが何人もいて、兄弟もたくさんいて、大家族らしかった。話を聞くに、モハメドさんちはどうやらお金持ちのようだった。家は広くて部屋も数え切れないほどあるとのこと。ちょっとひいてしまったが、考えてみれば、お金持ちじゃないとわざわざ日本まで留学に来られない。この町の誰よりもお金持ちなんじゃないかと思った。貧しい国から来た大金持ち、という予想のしなかった存在に、理解が追いつかず混乱した。いわゆる"いいとこのお坊ちゃん"なのに、心配してかえって失礼だったのでは?わたしは申し訳なくなった。
 
「写真を見ていると、家族に会いたくなります」
 
ハメドさんはしんみりしてそう言った。なかなか帰れる距離じゃないから、家族にはもう何年も会っていないのだという。さみしそうな横顔を見ていたら、お金持ちだと聞いて遠く感じていたモハメドさんが、急に近く感じられた。外国人だし、貧しい国出身だし、大金持ち。わたしとは全く違う境遇のモハメドさん。でも家族が恋しくなる気持ちは小学生にも想像できた。モハメドさん、さみしいのか。
 
 最後にモハメドさんが、スーダンの未来について話した。
 
スーダンにはピラミッドもある。エジプトよりも数は多いくらいです。ゆくゆくは観光もできるようになるといい。昔は内戦があって遺跡には近づけなかったけど、これからにかかっている。
 自分も日本で勉強したことをスーダンに帰って活かしたい。スーダンをもっと豊かな国にしたい」
 
 だいたいそんなような内容のことを言って発表は終わった。わたしは驚いていた。そもそも外国に来て勉強するというだけで勇気がいるのに、それを自分の国に活かしたいだなんて。そんな偉い人がなんで東大とかじゃなくて、こんな辺鄙な人口十万人の町に来たんだろう。違和感はあったが、その辺りはまあ、それなりに色々な理由があるんだろうと考えた。子どもには到底考えつかないような。わたしの目にはとにかく、モハメドさんがそれなりにかっこよく見えた。
 
 発表のあとは、懇親の一環としてドッヂボールをやることになっていたので、クラス全員でだらだらと体育館に向かった。少し遅れて、民族衣装から私服に着替えたモハメドさんが体育館に現れた。モハメドさんの私服は、グレーのシャツに細いストライプの黒のスラックス。民族衣装に隠れていた脚の長さが際立って、やっぱり同じ人間だとは思えなかった。
 
 ドッヂボールが始まった。運動神経のよい子たちが勢いよく投げあい、いつものような盛り上がりを見せている。しかし普段とは違うある種の緊張感があった。みんな、モハメドさんが透明になってしまったかのように振舞っていた。決してボールを当てようとしないのだ。モハメドさんの実力は未知数。お客さんだし、と遠慮しているようでもあった。
 
 ついにお調子者の男子がモハメドさんに向かってボールを投げた。お調子者の男子は、クラスでもかなり運動神経がいいほうで、ドッヂボールでもいつも活躍していた。彼に投げられたボールは、地面と平行に無回転でモハメドさんを真正面から狙う。
 だがしかし、モハメドさんはボールを両手でしっかりと受け止めた。そして、なんてことなさそうに片手でボールを勢いよく投げ返した。ボールはうねりをあげて右曲がりの放物線を描きながら、お調子者の男子に直撃した。体育館に大きな音が響いた。お調子者の男子は肩をおさえ、反対側のコートの外野へと向かった。きまり悪そうに笑っていたが、よっぽど痛かったのか顔がゆがんでいた。
 
 その後はクラスみんなによるモハメドさんへの集中攻撃となった。一様に笑いながら、しかし真剣にモハメドさんを狙う。だがどんなボールもひょいとかわされてしまう。モハメドさんは白い歯を見せて笑いながら、コートを縦横無尽に駆けていた。クラスの精鋭たちが、揃いも揃ってモハメドさんを狙っていた。チームの区別はもはやないに等しかった。いまだ内野にいたわたしは、とんでもないことになったと怯えながらそれを見ていた。
 
 四方八方から飛んでくる凄まじい勢いのボール。避けようとしたその時、額が何かにぶつかった。目を開けると、それはモハメドさんの腰だった。すみません、すみませんと急いで謝ると、モハメドさんは
 
「ごめんなさい。大丈夫?」
 
と小さな声で尋ねた。先ほどまでの無双っぷりが嘘のように弱気そうだった。はい、とどうにか答えたところで、モハメドさんの脚にボールが当たった。いい勝負だったのに、わたしのせいでモハメドさんは負けてしまった。わたしはひどく気まずい気持ちを味わったが、モハメドさんは素直に外野に向かった。ふっきれたような、なんてことない表情だった。そのあとすぐわたしにもボールがぶち当たり、外野に移動しているうちに笛が鳴りゲームセットになった。
 
  てっきりモハメドさんも一緒に給食を食べるものだと思っていたが、もう帰ってしまったらしい。今考えてみると、もしかしたらハラルに配慮したのかもしれない。給食を食べながらみんなでモハメドさんの話をした。脚長い。ドッヂボール強すぎだろ。頭ぶつけそうだったね。そんな話をしていた。おませな女の子が
 
「モハメドさんの香水、ブルガリだったね」
 
と言った。なんでこの子はそんなことがわかるんだろうと、乾いたコッペパンを味の薄いシチューのようなものに浸して食べながらわたしは思ったことを、なぜかいまだに忘れられずにいる。
 
 あれからもう15年ちかく経った。今、モハメドさんがどうしているのか、全く知らない。スーダンに帰ったのだろうか。留学中に勉強したことを元に、エンジニアとして活躍しているんだろうか。今はおそらく40歳くらいだから、子どもがいてもおかしくない。奥さん、何人いるんだろう。
 スーダン人はみんな鼻が高くてアラブっぽい顔立ちなんだろうと思っていたが、「スーダン人」というキーワードで画像検索をしてみた結果、別にそういうわけではないらしい。エディ・マーフィーみたいなスーダン人もどこかにいるのかもしれない。たまたまモハメドさんの鼻が高いだけだった。たまたまモハメドさんの脚が長く、たまたまドッヂボールが上手で、たまたま北国に来て、真面目に勉強をしていたのだ。祖国のために。けれどもわたしは、スーダン人はモハメドさんにしか会ったことがないから、なんだかスーダン人はみんな、はにかみ屋で、真面目で、優しい愛すべき人たちに思えてしまう。だからニュースでスーダンの戦争の様子が映ると、心が痛む。モハメドさんち大丈夫かなと思う。北のほうに住んでいる?それとも南のほう?と思い心がざわつく。かといって何か行動を起こすわけではないので、全く勝手な話ではあるが。
 
 あの総合の授業をきっかけに、例えばわたしが海外ボランティアになるか、それか自衛隊に入隊し、スーダンのために何かしていたらいい話だなと思う。お恥ずかしながら決してそんなことはなく、スーダンに行く予定もない。なんとなくスーダンに親しみが湧いているだけである。でもあの日モハメドさんが小学校に来て、わたしに強烈な印象を残さなければ、わたしはスーダンという国をこれほど知るよしもなかった。当時はスーダン人と話せた!と喜び、親にも「モハメドさんと話したさ!」などと自慢したものだが、思い返してみると会話と呼べるかどうかも怪しい。でもわたしは確かにモハメドさんと話したんだとその時は思った。親切にされて嬉しかったし、いい人だなと思った。あの日総合の時間にモハメドさんが来てくれてよかった。
 

 

 どこにいるかわからないモハメドさんとその家族。どうかご無事で、幸せでいてほしいと願う。