いい日泡だち

思い出の書き換えです

きらきらナイフの先輩と、犬の佐々木メロディちゃん(前編)

 
 記憶のなかの先輩は常に怒っている。苛立っている。彼はいつも何かに腹を立てていて、時には冷たく、軽蔑したように嘲笑う。そうしてくる日もくる日もトランペットを吹いている。雨の日も、吹雪の日も、期末テスト当日の朝も吹いている。トランペットを吹いている時の先輩は、全く楽しそうには見えない。けれども先輩は吹いている。何よりも、誰よりも自分自身に腹を立てながら。
 
 わたしが初めて先輩と会った時、先輩は三年の先輩と喧嘩していた。三年の先輩は小柄だけれどもおっぱいの大きい女の人で、お父さんがプロのトランペット奏者だった。娘である三年の先輩ものちに音大に行った。先輩と先輩の先輩は、昔はとても親しく、そう、まさに「親しくしていた」らしいが、その時は全くそうは見えなかった。先輩はののしっていた。わたしは怯えた。
 
 わたしと、中学生の頃は野球部だったという色が白くて眼鏡をかけた男の子がトランペットに加入した。三年生はおっぱいが大きくてトランペットが上手い女の人と、小柄で気さくでギャルっぽい女の人、話しても全く気づかないが、実はモンゴル人でとても長い名前を持っている明るい女の人だった。彼女たちは部の慣習でわたしたち一年生にあだ名をつけると、すぐに引退していった。
 
 二年生はいつも怒っている先輩と、優しいけれども気弱なオタクのKくん先輩、それにふわふわとした癖毛の女の先輩の三人だった。ふわふわとした癖毛の女の先輩はどこか悩ましげな様子で、練習中に失神したりしていた。そして夏を待たずに部活をやめた。
 トランペットは怖い先輩とオタクのKくん先輩と、初心者の男の子とわたしの四人になった。夏の時点で、トランペットを上手に吹ける人は一人もいなかった。そのことは先輩をますます苛々させた。
 
 ある時四人で「君が代」を吹いていた。体育会系の部活の壮行会で吹かされるからだ。君が代にハーモニーはない。四人であの単調で釈然としない音律をユニゾンで吹いていると先輩が我慢ならないという風に、中断させてこう言った。
 
「音痴がばれるね」
 
先輩は軽蔑しきったように鼻で笑った。誰が音痴だとは言わなかった。わたしは先輩の目が全く笑っていないことに気づいた。わたしはその日から、別に好きでもなかった「君が代」が嫌いになった。
 
 また別の日、わたしは音楽室のピアノを弾いていた。うろ覚えな「花のうた」を、同級生の前ででたらめに披露して笑っていた。すると先輩がわざわざ隣室からやって来て
 
「お願いだからそんな下手なピアノひかないでくれないかな?」
 
と言った。わたしは急いでピアノの蓋を閉め、なんてことはなかったかのように、同級生に話題をふった。ん?先輩?それより、モスの新しいバーガー食べに行こうよ!それからわたしは、二度と音楽室のピアノを弾いていない。
 
 先輩はとにかく怖い人であった。先輩は常に苛々していて、この世の全てを見下していた。傲慢だった。少なくともわたしにはそう見えた。だが、先輩にはそうする資格があると、皆がそう考えているような節があった。先輩は確かに怖かった。だがしかし、誰よりも自分に厳しかった。先輩はいつも何かに怒っていたが、一番怒っていたのは自分自身に向けてだった。思うようにトランペットを吹けない自分の不甲斐なさに、心底腹を立てていた。だから先輩は、朝も昼休みも帰りも、いつだってトランペットを吹いていた。そうして終始苛々していた。怒りながらトランペットを吹き、そのことでまた腹を立て、その怒りのエネルギーでまたトランペットを吹き苛立ちを募らせる永久機関、それが先輩だった。
 
 
 
 先輩は実は初心者だった。中学生の頃はバトミントン部で、トランペットを吹き始めて一年かそこらしか経っていなかった。トランペットは始める時期がすごく大切だと言われていて、一般的には早く始めれば早く始めるほど上手になりやすい。先輩はそれでも、初心者にしては吹けていたのでそれだけでも十分誇ってよかったはずだが、先輩は全然満足できないみたいだった。いくら練習しても上達の速度には限界がある。先輩はまるで、世界で一番トランペットが上手でないと満足いかないように見えた。それは時間との無謀な闘いだった。
 
 ある日の部活後、突然先輩に空き教室に呼び出された。先輩はしばらく言いづらそうにしていたが、吐き捨てるようにこう言った。
 
「俺とかKくんのことバカにしてるでしょ? こっちはわかってるんだから。お願いだからさ、態度にだけは出さないでよ」
 
先輩は怒りに震えながら言っていた。わたしはしばらく黙っていた。呆然としていた。ようやくのところで、はい、と小さく答え、逃げるように教室を飛び出し、そのまま走って家まで帰った。自分の部屋に逃げ込み、電気もつけずベッドに潜り込んだ。その日は夕食を食べられなかった。
 
 だがしかし、それは先輩の誤解以外の何物でもなかった。あまりにも先輩が怖くて目も見れなかったわたしを、先輩は自分が馬鹿にされているからそんな態度をとると思ったらしかった。だが、そんなことあるわけがなかった。わたしは確かに先輩のことを怖がっていたが、決して馬鹿になどしていなかった。むしろ敬っていた。すごい人だと思っていた。ここまで自分の心と身体を削ってまで、ひとつのことに打ち込めるなんて。トランペットが上手に吹けたところで、いい大学には入れない。プロを目指しでもしない限り、ほとんどの人には何も残らない。膨大な時間が苦しみと怒りに費やされて終わりだ。でも勉強も人間関係も全てを犠牲にして打ち込み、着実に上達していく先輩のことを、わたしはかっこいいと思っていたのだ。
 
 しばらく学校に行くのが嫌でたまらなかったが、時間がわたしを落ち着かせるにつれ、わたしはあることを徐々に理解した。先輩は、かわいそうな人なのではないかということだった。どうして先輩がここまで勝手に苦しんでいるのか、その理由はわからなかった。だがその苦しみや怒りといったマイナスの感情が、尽きることのないエネルギーになっていることはわかった。先輩はナイフみたいだと思った。周りを傷つけながら曲がり、折れ、砕けてばらばらになってしまう安物のナイフだ。無数の破片となる時、ナイフはあたりの光を受け、無数の乱反射を生むだろう。そしてあとには何も残らない。先輩は破滅の人であった。
 
 
 
 先輩は高校に入学して一番最初のテストで学年11位の成績をとったと聞いた。これは東大をはじめとする最難関大学を目指す人の順位だ。でも先輩はトランペットを吹くことだけに専念したかったのか、わたしが入部したころの二年生の時点では数学は追試になっていることがよくあった。その時はあんまり成績はよくないみたいだった。でも頭の回転は早くて、知識も豊富で、ふとした会話の端々からもそれはわかった。
 
 先輩は命を燃やしてトランペットを吹いていたからめきめき上手くなっていって、傍目から見てもそれはわかったのだが、同時にだんだんと痩せていった。顔色も良くなかった。
 ここの音程が合っていないよ、そう楽譜を指差す手があまりにも震えていてわたしは息をのんでしまった。どこの音程が合っていないのか推測するほかなかった。節分の日、豆まきの豆を、部員の手から手へと渡していた。先輩の指先は尋常じゃなく震えていて、いくつもの豆が床に散らばっていった。先輩はとにかく、何かしら大丈夫じゃない様子だった。
 
 
 
 先輩の険しい顔を一瞬だけゆるませることのできる存在がいた。それはダックスフンドのメロディちゃんで、彼女は先輩の携帯の待ち受けになっていた。わたしからしてみれば、どこにでもいる一匹の茶色いダックスフンドに過ぎなかった。しかし先輩にとっては唯一とも言える癒しのようで、目に入れても痛くないほどかわいがっていた。どれほど苛々していてもメロディちゃんの話になると、こぼれ落ちんばかりの瞳は潤み、頬はゆるむのだった。メロディちゃんと名付けたのも幼き日の先輩だった。先輩の精神世界のなかでは、苦しみを生むトランペットや追試や顧問や三年の先輩がいて、反対側には巨大なメロディちゃんがいる。わたしはたぶんその世界にはいないなと思った。Kくん先輩も同学年の男の子もたぶんいないなと思った。わたしたちは確実に犬以下であった。
 
 
 
 先輩の引退の日が来た。先輩は気がついた時にはとても上手になっていて、もはや彼が高校にはいってからトランペットを始めた人だとは、誰にも気づかれないくらいになっていた。不思議なことに、気弱だったKくん先輩も引きずられるようにトランペットが上手くなっていた。Kくん先輩にもKくん先輩の闘いがきっとあった。Kくん先輩は怒っているところを見たことがないくらい優しい人だったが、彼もまた人知れず闘っていた。Kくん先輩もまたその闘いに勝利した結果、本来出すべき実力を発揮できたんだろう。
 最後の演奏会が終わり、コンサートホールの前でトランペットの四人で集まった。外はもう真っ暗で、お互いの顔もよく見えないくらいだったが、先輩が号泣していることはわかった。先輩は呼吸困難を起こしそうなほど泣いていて、大粒の涙を流しながら何度もありがとう、ありがとう、と言ってKくん先輩と握手をしていた。Kくん先輩も目を真っ赤にしながらそれにこたえていた。わたしは目の前で何度も固い握手が交わされるのを見た。記憶のなかでその時間は、切れ目がなくて始まりも終わりもなく、まるで永遠そのものみたいに思える。わたしはいまだにあの時のまま、二人はコンサートホール前の暗闇で泣きながら握手をしているのではないかと、いまだにそう疑ってしまうのだ。
 
 先輩がいなくなってわたしもまた先輩になった。後輩には歌うみたいにトランペットを吹くことのできるとても上手な男の子が二人はいった。わたしともう一人の男の子は、結局一年たっても後輩より上手になれなかった。わたしたちが引退してさらに後輩に、トランペットがさらに上手な子がはいった。わたしたちの後輩とそのまた後輩は、いまだに仲が良く遊んでいるらしい。わたしはいい後輩にもいい先輩にもなれなかった。先輩は一浪したあと、北海道のちょうど真ん中あたりにある大学の医学部に合格したと聞いた。
 
 

 

 八年の月日があっという間に流れた。怖がってばかりいた一年に比べたら、一瞬みたいなものであった。ある日、先輩から突然連絡が来た。わたしと、もう一人の男の子と、三人で東京で会えないかと。

 

(後編に続く)