いい日泡だち

思い出の書き換えです

きらきらナイフの先輩と、犬の佐々木メロディちゃん(後編)

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 先輩と六年ぶりに会うことになった。よく晴れた夏の日だった。
 当日、仕事を定時であがったので外はまだ白けたように明るかった。東京駅の丸の内中央口の改札を抜けた。なんとなく風情があるという理由でそこを待ち合わせ場所に指定していたのだが、だだっ広いスペースは佇むには手持ち無沙汰で、待ち合わせには適さないことがすぐにわかった。予定の時間までまだだいぶあると思い、みどりの窓口に入りベンチに座った。そうして少し待つと、わたしに向かって手を振る影があった。同学年のトランペットのF君だった。彼とは幸いなことに卒業してからも親交が続いていて、定期的に会っているので特に気まずさはない。高校入学当初はどちらかというと小柄なほうだったはずだが、めきめき身長が伸びていった。それと同時に顔立ちもどこか日本人離れした様相へと変わり、レーシック手術を受けたためにもう眼鏡もかけていないので、あの頃とは全く別人みたいに見える。筋肉もついているので、米兵かISISの戦闘員みたいだ。
 
 F君とみどりの窓口でしばし待った。すると音を立ててキャリーケースを引きずる、同じく日本人離れした顔をしているが、F君ほどは身長が高くない人が現れた。彼は白のポロシャツを着て立っていた。先輩だった。眼鏡はもうかけていなかった。
 お久しぶりです、といったお決まりの挨拶もそこそこに、予約していたイタリアンのお店へ三人で向かった。幹事のわたしが迷ってしまい先輩が案内した。この間もこの辺りに来たのだと、丸の内オアゾを見ながら聞いた。まるで夢か演劇みたいに通りには人がいなかった。
 
 イタリアンのお店でビールやサラダ、パスタ、ピザなどをひとまず注文した。先輩はわたしたち二人が誘いに乗じたことへのお礼を言い、わたしたちは空路での移動をねぎらった。先輩は高校生だったころより10キロも太ってしまったのだと言った。なんとなく雰囲気が変わったと思ったのはだからか、と思った。10キロ太っていても先輩はまだ痩せ型のほうで、健康的に見えた。きっと筋肉が増えたんですね、とわたしは言った。
 ぽつりぽつりとお互いのことを話した。わたしは、代わりがいくらでもいるようなつまらない仕事をしていると言った。先輩は、医大インターンが終わってあとは国立試験なのだと話してくれた。何科の医者になるのか尋ねると、皮膚科だと言う。
 
インターンは外科だったんだけど、そこの医者に嫌われちゃったみたいでさー。相当きついこととか言われたさ」
 
先輩はストレスで白髪が増えてしまったと、顔をしかめて言った。言われてみれば確かに、年齢のわりには白髪が多いように見えた。白髪は居酒屋の照明を受けて、透き通ってかすかに光った。
 先輩は白髪だけでなく、生え際が後退してきたんじゃないかと気にしていて、前髪をかき上げて額を見せてくれた。つるりとした額のほうは全く無問題で、言われても全然わからなかった。
 わたしは別のことに気をとられていた。先輩ってこんなに訛っていたっけ。先輩は東京の小学校に通っていたからか、わたしの知る限りかなり都会的な印象の人だった。高校生の頃から、外套なんかも仕立てが良くきちんと見えるものを着ていた。へちま襟のニットの上着なんかを着ていたのだ。でもその先輩が語尾を「~さ」と変化させることが気になってしまう。なんだか不思議だった。おそらく変わったのは先輩ではなく、語尾を意図的に標準語に近づけようと努力してきたわたしのほうなんだろう。上京してからもう何年も経っているのだ。先輩は高校を卒業してからずっと北海道にいた。
 
 先輩もF君も痩せているので、二の腕が肘より細いという話をした。太りやすい人間にとっては、何ともうらやましい話だと思った。先輩は休みの日には自転車に乗って遠出をすることもあるらしく、しかし筋肉はそこまでつかないのだと言った。わたしは数年前、競技用のスーツみたいなものを着てヘルメットをかぶり、北海道の平原を疾走する先輩の写真をFacebookで見ていた。先輩はもうトランペットを吹いてはいなかった。
 
 あっという間に時間が経ち、ラストオーダーだと言われた。まだ話したりないと判断し、当然のように別の店に入った。和食がメインの居酒屋で、東京のホッケは小さくて食べ応えがないなどと話した。わたしが当時控えていたロンドン旅行の話などをしたり、先輩の今の彼女が東京にいるという話をしたり、高校の人たちが今何をしているかなど話した。そして先輩が言いづらそうにして言った。
 
「おれ全然いい先輩じゃなかったよね。ごめんね」
 
全く意外な発言だった。そんなことないです、とわたしたち二人は急いで否定した。先輩は素晴らしい先輩でした。先輩は、自分が常に焦っていて、冷たく接してしまったことを謝罪した。もうそれ以上は言わなくても大丈夫です、とわたしは思った。先輩は
 
「だって、○○(わたしのことである)なんて経験者だったから、トランペットずっとずっと上手だったでしょ」
 
と言った。全然そんなことなかった。わたしはずっとずっと下手くそだった。先輩は何を言っているんだ。わたしはほとんど泣き出してしまいそうだった。先輩は、自分は下手で周りは上手だった、というようなことを言った。そんなことはなかった。わたしたちのなかではいつだって先輩が一番上手だった。先輩はとてもトランペットが上手だったのだ。けれども先輩はわたしのことを褒め、F君のことを褒め、その日来られなかったK先輩のことをほめちぎった。Kくん先輩のトランペットは上手だったと言った。Kくんに会いたいなあ、と懐かしそうに目を細めた。
 
 先輩のなかでは、高校での部活の思い出は、たまに取り出して眺める、純度の高い結晶のようなものになっているらしかった。先輩はいつまでも懐かしがっていた。先輩の話す高校の部活の思い出は、苦痛に満ちたものではなく、トランペットを吹く楽しさに満ち溢れた素晴らしい期間として語られた。わたしたちはその思い出のなかでの愛すべきバイプレーヤーだった。わたしたちは知らず知らずのうちに、先輩の精神世界におけるメロディちゃん側にまわることができていたのだった。
 
 解散して帰り際先輩からLINEが来た。久しぶりに二人に会えて本当によかったと、先輩は繰り返しメッセージをくれた。お店の予約をしてくれてありがとう、またすぐに会おう、LINEは先輩からの純粋な感謝の言葉で溢れかえった。
 
「極上の時間だった」
 
少し陳腐なそのメッセージの直後に、号泣している絵文字がついていた。こんな日が来るとは思っていなかった。夢にも思わないというのはこのことだった。なんだか現実味がなかった。先輩の無事を祈ってわたしは帰宅した。
 
 
 
 先輩はもうナイフのような人ではなかった。外見の整った、健康で誰からも好かれそうな医学生になっていた。先輩は先輩自身が作り出した地獄からいち早く脱却し、親切ないい人になっていた。よかったな、と思った。そう思おうとした。もし先輩があのまま地獄の中にいたら、きっと死んでしまっただろう。先輩は飛びぬけて頭がよかったから、自分の力で幸せになるやり方を見つけたのだ。先輩が元気そうでよかった。きっといいお医者さんになるだろう。患者の痛みに寄り添うような。水虫の診断を出し、処方箋を書く先輩のことはあまり想像できなかった。しかしこれから似合うようになっていくんだろう。
 
 しかし同時に、先輩は死んでしまったんだと思った。わたしをあれほど怖がらせ、恐ろしい思いをさせた先輩はもうこの世のどこにもいなくなっていた。ナイフのような、何にも思っていないというような顔をして人を傷つけ、同時に自分も傷ついている先輩。あの苛々してばかりいる先輩に、もう会うことはできない。先輩は全く別人のようになって生まれ変わっていた。わたしがどうしようもなく駄目で、失敗ばかりをして、おどおどしているうちに。もう誰も怒ってくれないと思った。わたしはわたし自身によって別人にならなければならない。
 
 ただ恐ろしかった頃の先輩に会う方法が一つだけあって、それは睡眠をとることだ。わたしは未だに高校生の頃の部活の夢をよく見る。その夢は大抵悪夢だ。悪夢のなかでは悪魔のような先輩が、記憶そのものより格段にパワーアップした恐ろしさでわたしに怒る。苛立っている。その夢を見たときのわたしは、いつも汗をびっしょりかいて泣きながら起きる。もう二度とごめんだと思う。心の底から恐ろしい。わたしのなかの先輩はもはや恐怖そのもの、悪魔というより神様みたいな感じだ。崇高ですらある。だがたぶん本当は、昔もそこまで怖くなかったんだと思う。当時の他の部員に聞くと、わたしと先輩の仲は特別おかしなこともなく良好に見えていたそうで、確かに冗談を言って笑ったりすることもあったような気がする。今のわたしが勝手に怖かったような気になっているだけなのかもしれない。
 
 三人で再会した時、店員さんに写真を撮ってもらった。写真のなかの三人は、これっぽっちも笑っていなくて表情もかたく、見返すとなんだか笑ってしまう。その写真を見ると、やっぱり先輩はまだ怖い先輩のままで、わたしたち二人は怖がっているようにも思える。どちらにせよ昔がどうだったかはもはやどうでもよく、今とこれからどうしていきたいのかを考えたほうが建設的だ。わたしたちはまだ若いのだから定期的に会えばよいのだし、別の思い出を作ってもかまわない。今度はKくん先輩も一緒に会えるとよい。誰もトランペットを吹かなくなっても、わたしたちの人生はまだまだ続いていくし、わたしたちの関係も、連絡を取り合う限り終わりっこないのだ。